My Backbone 本と映画と音楽と ~「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて~ 


  『李卓吾 正道を歩む異端』(溝口雄三 著。1985<昭和60>年 初版。集英社 刊)


※冒頭の文章より

 人には「であい」(注:「 」はHP作成者)とうものがあり、それはさまざまです。

 吉田松陰にとっての李卓吾も、書物を通してのことではあるにせよ、一つの「であい」というものでしょう。

(中略)獄死という二人の共通の死は、暗号にすぎません。

 彼が「死の一字」に発明するところがあったというのは、李卓吾の獄死体験とはかかわりのないことなのです。

(注:李卓吾の獄死を松陰は「おそらく」知らない)彼が入獄のその七ヵ月余のあいだに李卓吾から得たのは、

「死」の意味ではなく、。死に裏打ちされた「生」の重さでした。彼は『焚書』(注:李卓吾の代表作)につづられる

李卓吾の率直な心情の吐露を通して、その吐露をやむにやまれぬものにした李卓吾の生の緊張―やがて弾劾・

投獄のうえ、獄中で自刎(注:「じふん」。「頭を剃りたいから」と頼んだ剃刀で自死)して果てるに至るであろうような

生の緊張の重みを、その当初から感じ取っていたのかもしれません。


※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから

「悪ガキ正機説」「悪ガキ礼賛」といった考え方(生徒観、教育観、人間観、人生観)についての考察・探究を楽しく

続けている。司馬遼太郎の言葉「子どもの心を持たない大人はつまらない人です」やニーチェの「真の男の中には

子どもが隠れている」や五味太郎の「生物は魂のピークの時に生まれ出る。そして、その高みから落ちないように

抵抗するのが生きるということ」、そして李卓吾(李贄)の「童心論」に通じると思う。私にとっての「星の思想」

(ニーチェの「星のモラル、星の友情」っぽく)の一つになるかも…。 2018.11.1


卒論で研究した李贄(李卓吾)を主人公の一人にした漫画『三夢伝』(未完? 中断?)を読み返した流れで、『近世

随筆集 中国古典文学大系』(平凡社)に収められた李贄の主著「焚書」の抄訳(溝口雄三)を拾い読みした。訳者が

まとめた「李贄年譜」で紹介されていた次の文章は、ケストナーの『飛ぶ教室』で描かれた教師観や教育観に通じる

ものがある。


宏甫(李贄)が…、毎日友人を集めて学を講じていたが、ある僚友が、「読書にもなじみ理義にも通じている吾々が、

何で今更学を講ずることがあろう」と言った。すると宏甫は、「君たちは優秀な成績で科挙にも及第され、書を読まな

かったどころではない。しかし残念ながらまだ学を識らない。…『論語』や『大学』はもちろんお読みになっているはず。

しかし『論語』巻頭の「学」の一字、『大学』巻頭の「大学」の二字、この三字については、諸君はまだ識りえていない。

何故か。これを識るには何よりも己に実証し体俉するところがなくてはならない。…それすら能わぬに、何でこの字を

識っていると自負しえよう」と答えた。


ケストナーの言葉の復習。「教師には、とんでもない義務と責任がある。自分を変えていく能力をなくしちゃダメなんだ。

でないと生徒は、朝ベッドから起きださず、授業はレコードで聞けばいいってことになるだろ。だがね、ばくらに必要なのは

人間の教師であって、2本足の缶詰めじゃないんだ。ぼくらを成長させようと思うんだったら、教師のほうだって成長して

もらわなきゃ」。 2019.8.18


今(現在)と将来(未来)の弁証法的関係(コラボレーションのパートナーとして)について、9月5日付の脚下照顧に「今を

充実させることで将来に向けて成長すること」「今を輝かせるための将来の目標を持つこと」などと述べている。それでは、

世俗(経世)と超俗(出世)の止揚とは? 情念と理念の止揚とは? 手段と目的の止揚とは? 李贄(李卓吾)や吉田松陰

(寅次郎)のものの見方や考え方、生き方から学んで、自分の言葉で人に伝えられるようになりたい。できればそれを文章化

したい。ヘーゲル哲学と実存主義哲学の止揚(コラボの成果)が、有効な手段になるかも…。 2019.10.26


1学期最後の日曜日。そして参議院選挙の日。ゆっくり朝食を摂った後、福井県の映画館で、「峠~最後のサムライ~」を

鑑賞(2回目)。そこからは、司馬遼太郎の原作『峠』をピンポイントで読み返した半日。「陽明学徒」の「よい」典型=河合

継之助の存在は、「陽明学の完遂者」李贄「(李卓吾)の存在に通じる…と再確認した。…あ、李卓吾は私の卒論のテーマ。 

2022.7.10


(前略)午後は、私の卒論テーマ「李贄(李卓吾)」について発表された最新本『思想史の中の日本と中国 【第1部】歴史の

「基体」を尋ねて』(孫歌 著、東京大学出版会 刊))を、既読箇所を再読しながら「吟」読。「利他」にも「二項対立の脱構築」

にも通じる「卓吾さん」の、いつまでも「古ぼけない」思想営為に改めて「知己の人」(私のことを知ってくれている人)を感じる。

…と書いても、笑って許してくれそうな李さん。私はあなたの、「志」友の1人です。 2022.9.19